2024年が終わりましたので、昨年読んだ本をざっくりと振り返ろうと思います。
去年はちゃんと年末にpublish出来ているらしい。
振り返って気づいたこととして、今年は大乗仏教に関する本を一冊も読んでいないことが挙げられます。昨年は『100分de名著 維摩経』を読み、大乗仏教に対する興味の幅が広がったように感じましたが、なかなか丁度良い本を見つけることができず、そのまま止まってしまっています。自分の菩提寺の宗派を考慮すると、禅宗についてさらに深掘りしてみるのも良いかもしれません。ZORNみたいなこと言ってますし(?)。洗濯物干すのも修行。
また、再読をもっと積極的に行っても良いのではないかと感じています。本当にすぐに内容を忘れてしまうためです。あまりにも忘れてしまうことが多いため、最近では印象に残った本についてブログに読書記録をつける試みを始めました。
余談ですが、本の内容を思い出そうとすると、なぜか本を読んでいた際の自分の状況を一緒に思い出してしまうことが多いです。
たとえば、「これはクラフトビールを飲みながら読んだ本だ」とか、「LUMINEのエスカレーターで読んだ本だ」などです。本の内容をしっかり覚えていたいのに、どうしてこのように状況ばかりが浮かぶのか、不思議に思っています。
2024年に読んだ本は19冊でした。
- チームを動かすIT英語実践マニュアル
- 統計学が見つけた野球の真理
- スタッフエンジニア マネジメントを超えるリーダーシップ
- 100分de名著 渋沢栄一『論語と算盤』
- なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?
- 認知バイアス
- 物語 イギリスの歴史(上)(下)
- 麻雀1年目の教科書
- 地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団
- お金のむこうに人がいる
- 無(最高の状態)
- 他者と働く
- 漫才過剰考察
- 最高の老後
- 年金不安の正体
- ホワイトカラー消滅
- エレガントパズル
- プロダクトマネージャーのしごと 第2版
チームを動かすIT英語実践マニュアル
こちらは、チームのメンバーが紹介してくださった本です。私は日本と海外のSREチームを兼務しており、東南アジアのメンバーとの英語でのコミュニケーションが発生するため、英語力、特にリスニングとスピーキングのスキル不足に悩んでいます。雑談を円滑に行うことももちろん重要ですが、仕事上で必要となるコミュニケーションの表現をしっかりと押さえることが大切だと考え、本書を手に取りました。
シチュエーションが実際の業務に近い内容で、そのまま利用できる表現も多く、大いに活用できたと感じています。
特に、Unit 5 の 1on1 に関する内容が個人的には非常に気に入りました。
リスニングやリーディングは少しずつ上達しており、直近のTOEICでは820点を取得しました。大学時代に受験した際のTOEICは500点台だったと記憶していますので、この10年間でのTOEIC難化も踏まえると、確実に成長していると実感しています。しかしながら、英語でのコミュニケーションがまだ十分に円滑とは言えず、更なる向上が必要だと強く感じています。
統計学が見つけた野球の真理
BLUE BACKSのセールがあった際に、つい購入してしまった一冊です。野球はほとんど観なくなって久しいのですが、高校野球をたまに観ることがあり、社会人になってからは西武ドームや神宮球場に野球観戦に行ったこともあります。最近は、帰省するたびに嘆いている西武ファンの親の姿を見て、パ・リーグのペナントレース状況を知る程度です。西武鉄道という会社自体は、2004年の上場廃止時と比較してかなり回復している印象を受けますが、球団の成績はそれとは逆の状況にあるようです。今年は紀尾井町ガーデンテラスの売却益があるものの、その資金はおそらく球団ではなく不動産事業に回りそうで、来年も親の嘆きが聞こえてきそうです。
本書は冒頭から非常に魅力的でした。「そのプレーにどのくらい価値があるのか測るには、得点期待値と得点確率という物差しを使う」「無死一塁のランナーをバントで送って一死二塁にする戦術に、得点期待値を上げる効果はない」といった記述があり、これに心を掴まれました。
やはり「掴み」の重要性を改めて感じました(無理やり?)。令和ロマンがM-1決勝で「終わらせましょう」と言ったときのワクワク感を思い出します。ちなみに真空ジェシカの1本目が一番好きでした。
「無死一塁で送りバント」なんて、非常によくあるパターンです。少年野球や高校野球では定石中の定石ですし、プロ野球でもよく見られる戦術です。それが統計的に覆されているのは、とても興味深いと感じました。この問題は「犠牲バントの損益分岐点」と呼ばれているそうで、NPB2021年シーズンの統計によると、出塁率が .127 以上であればヒッティングの方が得点期待値が高いとのことです。
その後の章では、「投手として」「野手として」「バッターとして」、純粋な能力をどのように測るかにフォーカスしています。具体的には、球場の特性やピッチャーの場合の自陣守備の巧拙といった、純粋な能力評価のノイズになる要素を取り除く必要性について論じられています。また、守備におけるUZR(Ultimate Zone Rating)に代表されるように、どのデータを採用するかで結果が異なったり、グラウンドの形状や選手のポジショニングといった、まだ考慮されていない要素があることも触れられています。
これらは、私が所属するチームで提供しているプラットフォーム(例えばCI/CD基盤やEKSクラスタ)のSLO計測にも通じる部分があるように感じました。どのようにすればプラットフォームとしての品質を純粋に測ることができるのか、という課題に似ていると感じたため、より興味深く読むことができたのかもしれません。
スタッフエンジニア マネジメントを超えるリーダーシップ
以前配信されていたポッドキャスト「e34.fm」で言及されていた本だったように記憶しており、そこから興味を持って読み始めました。また、https://staffeng.com/ については以前から知っており、本書の冒頭で説明されている一般的な4つのアーキタイプに関する内容までは読んでいました。しかし、それ以降は特に読んでおらず、この書籍を改めて手に取りました。
「スタッフエンジニアとは何をする人なのか?」という疑問を強く持っていました。シニアエンジニアよりも影響範囲が広く、組織に大きく貢献できる存在であると考えていましたが、それをどのような行動で実現するのか、本書を読むまでは自分の中で明確ではありませんでした。
技術的な方向性を設定および修正し、スポンサー(支援者)あるいはメンター(助言者)として行動し、組織の意思決定をサポートするためにエンジニアリングの状況を伝え、探求し、そしてターニャ・ライリーが「接着剤」と呼ぶ役目をこなすのである。
「接着剤」については、https://www.noidea.dog/glue/ で "glue work" として紹介されており、ソフトウェアエンジニアとしては評価されにくいものの、プロジェクトやチームの成功に不可欠なタスク(チーム運営やサポート、プロセス改善、メンバー支援、技術以外の雑務、コミュニケーション促進)を指すとされています。
エンジニアリングマネージャになってから感じたことは、自分が glue work に手を付けやすいという点です。チーム全体のアウトプットが評価の対象となるため、自分個人の成果物が求められるわけではなく、逆にメンバーにはわかりやすい成果物がある方が評価しやすい(上位のマネジメント層にアピールしやすい)ためです。その結果、メンバーの glue work を積極的に引き受けてしまう動機が生まれやすいと感じます。
ただし、これは行き過ぎると悪影響を及ぼす可能性があります。マネージャはよりレバレッジの高いタスクに注力すべきですが、それに集中できなくなるリスクがあります。また、glue work の中にはメンバーが学ぶべきスキルや責任感を養える要素が含まれており、その機会を奪ってしまう可能性があります。さらに、組織全体で glue work が「重要な仕事」として認識されないことも懸念されます。
話がそれてしまいましたが、スタッフエンジニアもマネージャと同様に、組織全体のアウトプットにフォーカスした立場にあるようです。
本書には、スタッフエンジニアが発展し続けるために大事なこととして、以下の点が挙げられていました。これは新任スタッフエンジニアから信頼されるリーダーに求められる要素でもあり、スタッフエンジニアに期待される行動とも言えそうです。
- 重要なことに力を注ぐ
- エンジニアリング戦略を立てる
- 技術品質を管理する
- 権威と歩調を合わせる
- リードするには従うことも必要
- 絶対に間違えない方法を学ぶ
- 他人のスペース(余地)を設ける
- ネットワークを築く
これらについて詳細な説明がなされており、そのどれもが非常に興味深い内容でした。「重要なことに力を注ぐ」や「技術品質の管理」、「権威と歩調を合わせる」、「リードするには従うことも必要」などは、シニアエンジニアとして重要な事項である印象を受けました。また、「他人のスペース(余地)を設ける」や「ネットワークを築く」はマネージャとしても欠かせない要素だと思います。
本書の後半を占める第5章では、スタッフエンジニアの実際のストーリーが紹介されており、ラスさん、バートさん、ケイティさんのエピソードが特に印象に残りました。ただ、今読んだらまた別の人のエピソードが気になるかもしれません。この本は近いうちに再読したい一冊です。
100分de名著 渋沢栄一『論語と算盤』
以前、NHKオンデマンドで『100分de名著』を流し観していた時期がありました。ちなみに、『維摩経』を知ったのもそのきっかけです。
ドラマ『青天を衝け』は観ていないのですが、新一万円札の肖像画が渋沢栄一に変わるということで、少しミーハーな気持ちで動画を観てみました。すると内容が非常に面白く感じられ、書籍も購入しました。
子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず)
この言葉は、「論語」に登場する孔子の有名な一節で、志について触れています。本書の著者は、渋沢栄一が実業界に飛び込んだことを立志と語っていますが、それは天命に当たるものではないかとも言及しています。志と天命の違いは、「自分の可能性に目を向けるか」「自分の限界に目を向けるか」という視点の違いに由来するのだそうです。この部分を読んでから、自分にとっての「立志」や「天命」とは何だろう、と考えるようになりました。
また、孔子でも60歳になるまでは人の意見を素直に聞けなかった、というのは少し救いにも感じられました。
本書では、「信頼」や「信用」が『論語』と『算盤』の中核にあると述べられています。明治時代、商業道徳が劣化し、イギリスで渋沢栄一が直接苦情を受けた経験があったそうです。そのため渋沢は、『論語』を使って商業道徳の重要性を訴えました。道徳の獲得には、「常識を作り、それに基づいた良き行動のルールを見つけ、それを習慣化すること」が必要です。渋沢は、常識を形成する上で「智(知恵)、情(情愛)、意(意思)」のバランスの重要性を指摘しており、このバランスがなければ、ロジックや感情的な納得、目標の一致が取れず、相手と妥当な合意を作ることは難しいと述べています。この部分を読んで、自分にはこの3つのバランスが欠けていることがあると感じ、考えさせられました。
さらに、渋沢が掲げた「合本主義」と資本主義の大きな違いは「公益を追求する」ことだそうです。自己の利益だけを求めても、最終的には社会全体や自分自身の利益にならない、という考え方を改札に例えています。「合本主義」で動くことがモチベーションとなる世の中が実現すれば良いと感じましたし、大いに共感できる考え方でした。
なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?
本書は、主にミドルマネージャーを対象とし、レバレッジを活用することの重要性が語られています。『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』で触れられるように、マネジメント活動における意思決定やナッジングにおいて「ストックとフロー」の視点で課題の構造を明らかにするシステム思考は、私にとって非常に魅力的なツールに感じられました。
書き方は頭に入ったものの、実務への活用がまだ不十分です。そのため、中盤にある「システムの原型」についても目を向けづらいという悪循環が生まれてしまっています。年始の業務においては、意識的にシステム思考を活用してみようとしています。
認知バイアス
「根本的な帰属の誤り」などの認知バイアスについて考慮したGitLabのValuesを読んでいて、認知バイアスについてもっと深く理解する必要があると感じ、手に取った一冊です。こちらもBLUE BACKSのセールで購入しました。
特に印象に残ったバイアスについていくつかご紹介いたします。
1つ目は「利用可能性ヒューリスティック」です。リハーサル効果との組み合わせにより、「頻繁に出会うもの=思い出しやすい=その出来事は頻繁に起こっている」という方程式が成立するという点が興味深かったです。メディアは珍しい出来事ほど頻繁に報道するため、現実とは異なる印象を抱いてしまうことになります。この錯覚は『ファクトフルネス』でも言及されていました。
2つ目は「代表性ヒューリスティック」です。現在有力とされるカテゴリ化の方法は、プロトタイプとの比較照合によるものです。プロトタイプは帰納的推論によって形成されますが、その形成には事例との遭遇が必要です。ただし、少数のサンプルから誤ってプロトタイプ「のようなもの」を作ってしまうことが多いのです。このプロトタイプは、目立つサンプルに基づくため、カテゴリの代表例としては不適切であることが多いのです。このバイアスは国籍や人種に適用され、社会的ステレオタイプを形成します。「世界一周で価値観が変わる」という話にやや懐疑的な思いがありましたが、数多くのサンプルを得て社会的ステレオタイプから解放されるという観点からすれば、確かに価値観が変わる可能性があると感じました。
3つ目は「確証バイアス」です。これは原因を一つに絞り込み、そこだけに集中してデータを集める傾向を指します。たとえば、第一印象が重要であることもこのバイアスに関連しています。「この人は爽やかで優しそうな良い人だ」と感じると、その証拠ばかりを集め、仮説を覆すことが難しくなります。
4つ目は「ひらめきは無意識的な学習の成果である」という点です。創造が突然のひらめきによるものという通説とは異なり、常識的な捉え方に対応する制約を緩和し、試行錯誤を重ねることで創造的な成果が得られるという主張です。試行を重ねる中で無意識的システムが洗練された試行を行い、その結果として「できた!」と気づくのだそうです。失敗を重ねることで制約を緩和し、創造の芽を育てることができるという点に感銘を受けました。
本書の最終章では、「認知バイアスというバイアス」というテーマが取り上げられています。このテーマには少々驚かされましたが、文中でも「ちゃぶ台返し」という表現が使われており、本書全体を振り返る上で非常に印象的でした。
物語 イギリスの歴史(上)(下)
6月のイギリス旅行を楽しむために読んだ2冊です。
本書はイギリスの歴史すべてを網羅するものではなく(膨大すぎるため)、主に「王権と議会」を中心に展開されています。そのため、ノルマン征服まではやや駆け足で進みますが、それでも興味深い内容であり、別の書籍でさらに詳しく追ってみたいと感じました。
面白いなと思った部分を以下に簡単にまとめてみます。
イングランド(「アングル人の土地」という意味)と呼ばれるブリタニア中央部と南部には、アングロサクソン人が5世紀前半から150年にわたり渡来しました。この際、原住民を殺戮し、西端に追いやられた人々は「ウェアルフ」(アングロサクソン語で異邦人)と呼ばれ、これがウェールズの語源となったそうです。北部に追いやられた原住民にはスコット人が含まれ、後にスコットランドと呼ばれるようになります。こうした中で、原住民の間ではゲルマン系への抵抗の象徴として「アーサー王伝説」が生まれたとされています。このため、アーサー王伝説はケルト系の価値観に基づいた物語といえるのかもしれません。
最初の「イングランド王」であるアゼルスタンの時代に、「賢人会議(witenagemōt)」という議会の起源ともいえる機関が設置されました。以降、王たちは立法に深く関わるようになり、有力者との定期的な会議を行いました。征服王ウィリアム1世も賢人会議を尊重しました。
アンジュー帝国を築いたヘンリ2世の時代には議会が「パルルマン」と呼ばれ、これが後に「パーラメント」という用語になりました。エドワード証聖王を崇敬していたヘンリ3世の時代には、ウェストミンスター修道院の再建が進むとともに、ウェストミンスターが宮殿と政庁所在地を兼ねるようになりました。この頃には、騎士や都市市民も議会に出席するようになり、エドワード3世の治世からは貴族院と庶民院の2院制が取られるようになりました。
イングランドでは王位継承争いが頻繁に起こり、議会はその調整役を果たしていました。同時期のフランスでは王位継承争いがほとんど起きず、この違いが「議会」と「王権」の力関係に大きな影響を与えたと考えられます。
旅行中、ロンドン塔でテューダー朝の展示を観た際には、この本で得た知識が大いに役立ちました。下巻のステュアート朝に関する部分を読んでいれば、エディンバラ城やスコットランド国立博物館の展示をさらに楽しめたと思いますが、旅行までに読む時間が取れなかったのが残念です。
下巻では、清教徒革命(イングランド内戦)をはじめとする王権と議会の衝突が描かれます。オリバー・クロムウェルが軍を再編し「国王殺し(regicide)」を成し遂げたことで一時的に共和政となりますが、クロムウェルの死後、チャールズ2世による「王政復古(restoration)」が実現します。
その後、ハノーヴァー朝が始まり、トーリとホイッグという政党が生まれました。この時代には初代首相ウォルポールが登場し、彼の時代は「ウォルポール平和」と呼ばれます。ヴィクトリア女王の時代には繁栄が極まり、ロンドン塔で観た装飾品のきらびやかさが印象的でした。ヴィクトリア&アルバート博物館にも行きたかったのですが、時間の関係で断念しました。
イギリスは戦勝国ではありながら、第一次世界大戦と第二次世界大戦に参加し、大きなダメージを受けました。戦後、アトリー、サッチャー、ブレアという3大改革政党の時代を経て、スコットランドに権限が委譲され、スコットランド議会が設立されました。エディンバラのホリールード宮殿向かいにある特徴的な建物がその議会です。
イギリスには「BBC議会」というチャンネルがあり、貴族院と庶民院の審議を一日中放送しているそうです。「議会」が生活の一部であることがうかがえます。ウエストミンスターを見学できなかったのは残念ですが、またの機会に訪れたいと思います。
ところで、ところどころ出てくる用語に馴染みがあると感じたのは、中学生時代に触れたゼロ魔やギアスの影響かもしれません。思春期に出会ったものが記憶に強く残るのだと改めて実感しました。
麻雀1年目の教科書
友人と初めて麻雀をすることになり、初めて打った際に、人の助けがなければ上手く打てず購入した本です。それまで麻雀について何も知らなかったため、ここまで戦術的なゲームであることに驚きました。
中学生のアカギが、ルールを知らない状態から代打ちの矢木に勝ったのは、どう考えても常人離れした才能だと思います。私自身、牌効率を考えながら打つためのシンキングタイムがなかなか短くならず、辛さを感じていますが、それでもセオリーを頭に入れることができました。
また麻雀を打つ機会があれば、まずこの書籍を参考にすることになると思います。とても良い本でした。
地面師 他人の土地を売り飛ばす闇の詐欺集団
Netflixで『地面師』を一気に観た後、思わず手に取った本です。これはドラマの原作小説ではなく、参考文献となったノンフィクションです。
ドラマ(および原作小説?)では誇張されている部分が多いようですが、地面師たちの仕事には杜撰なプロセスも見受けられたとのことです。それでも人が騙されてしまうのは、確証バイアスやサンクコスト効果といった心理的な要因によるのでしょう。こうした警戒すべき存在をドラマという形で話題にしたことは、模倣犯を生むリスクもある一方で、騙されないための啓蒙的な役割も果たしたのではないかと思います。
積水ハウス事件で一番驚いたのは、社長派と会長派の対立が実際に存在しており、会長が責任を取るように求めた社長退任の要求が棄却され、結果的に落ち度のない会長が解任されたことです。この件はドラマでは描かれておらず、一層驚きを感じました。
また、なりすまし役が急に来られなくなり、手配師が急遽成り代わったというエピソードも実話だったことには驚きました。これは積水ハウス事件ではなく、新橋の白骨死体事件(ドラマ冒頭で描かれた事件に似ているもの)での出来事です。
『地面師』を観た後に土地購入の取引があったら、きっとこの知識を活かしつつ楽しむことができたのではないかと思います。その機会がなかったことが少し残念です。
お金のむこうに人がいる
本書を読んだきっかけは正直あまり覚えていませんが、読んで良かったと感じた一冊です。「僕らが紙幣を使っている理由はジャイアンリサイタルと同じである」といったユニークな表現が冒頭にあり、そこから自分のお金に対する凝り固まった価値観がほぐされていく感覚を覚えました。
「円の普及」が明治時代に急速に進んだ理由として、1873年の地租改正が挙げられます。この改正で「税の支払いを円貨幣でしか認めない」とされたためです。税金を納めなければ最悪の場合、10年以内の懲役となるため、円貨幣を手に入れる必要が生じたのです。
家の中に新しい貨幣を作ったらどうなるか、という例えはとても分かりやすいものでした。例えば、子どもたちに税金を払う義務を課し、払えなければスマートフォンを没収するというルールを設ける。子どもたちは家事をすることで貨幣を手に入れることができ、結果として「みんなのためにみんなが働く社会」が作り出されます。
本書では、社会全体にとって重要なのは、お金の移動(経済効果)ではなく、労働がモノに変換されることだと述べられています。「経済効果」という言葉に対して自分はポジティブな響きを感じていましたが、それが本質的な価値を表しているかどうかは中身次第であると気づかされました。
お金の移動ではなく効用に目を向けること、モノの価格の総額を表すGDPではなく生活の豊かさに目を向けること、そしてお金ではなくその向こう側にいる人に目を向けることを心がけたいと思います。
無(最高の状態)
科学的な論拠と仏典や古典からの引用が織り交ぜられて語られており、とても興味深い内容でした。
人間はポジティブな情報よりもネガティブな情報の影響を受けやすく、特にマイナスなことほど記憶に残りやすいそうです。この傾向は「ネガティビティバイアス」と呼ばれます。さらに、「ポジティブな情報は長持ちしない」という心理も備わっています。これは、人類が脅威に満ちた環境で生き抜くために臆病であることを余儀なくされた進化の結果といえるようです。
ネガティブな感情は現代においても必要であり、「敵ではなく、私たちを守ろうと気に病む乳母のような存在」とも言われています。この点では映画『インサイド・ヘッド』を思い出しました。
「一般の人と仏弟子の違いは〝二の矢〟が刺さるか否かだ」というブッダの言葉(雑阿含経)も印象に残りました。最初の悩みが別の悩み(二の矢)を呼び込み、同じ悩みが脳内で反復されることでダメージを受けてしまう。この二の矢を止められない問題は「自己」の困難に行き着きます。
自己とは単一の存在のように思えて、実際にはさまざまなツールが集まったパッケージのようなものだと本書は述べています。特に「物語」が脳内で自動的に動き出し、それを唯一の現実だと思い込むことに気づいていない点が問題だとされています。この問題を解決するためには、「セットとセッティング」という観点から、自己を捨てても恐怖を抱かないメンタルを整える必要があるとのことです。
また、内受容感覚を養うための「スダルシャンクリヤ」を試していましたが、骨折をきっかけに中断してしまっていました。本書を読んで、改めて再開してみようと思います。
以下のように丁寧語に統一し、誤字脱字を修正した文章をご確認ください。
他者と働く
こちらは別途ブログ記事を書きました。
漫才過剰考察
冒頭の「これまで」がとても印象的で気に入りました。M-1グランプリの解剖や寄席に関する考察も興味深く、(客観的なエビデンスの提示が欲しいと思う場面はあったものの)非常に面白い内容でした。
最初に試していたとされる新書のような書き味で読んでみたかった書籍です。中学校時代に一人称の二次創作SSをよく読んでいた私でも(?)、口語での記述にはやや読みづらさを感じました。
最高の老後
こちらは別途ブログ記事を書く予定です(と自分に発破をかける)。
年金不安の正体
PIVOTの動画を偶然観て、面白そうだったので購入した書籍です。年金制度について全く知らないまま社会保険料を納めてきたため、大変参考になりました。
年金制度が賦課方式であることは理解していましたが、「年金積立金の運用が好調」というニュースで混乱していました。実際には、現役世代が多かった時代に余剰となった資金を蓄えたものであり、これが積立金となっています。この仕組みは「修正積立方式」という紛らわしい名前が付けられており、名付けの重要性を改めて感じました。
2004年の年金制度改革で採用された「有限均衡方式」により、少子化の影響を緩和しつつ、2100年までに積立金を徐々に取り崩して均衡を目指すプランが導入されました。しかし、2022年には出生率が再び低下しており、楽観視は難しい状況です。また、「拠出の固定化」による年金原資の制約や所得代替率の設定が具体的に説明されており、理解が深まりました。
消費税やベーシックインカムに関連する議論も興味深く、非常に学びの多い一冊でした。
ホワイトカラー消滅
本書は、内容全般が非常に興味深く、多くを学ぶことができました。しかし、もやもやした点が2つあります。
1点目は参考文献へのリンクがないことです。冒頭で言及されている三菱総合研究所のレポート スキル可視化で開く 日本の労働市場 など、リンクがあればより良かったと感じました。
2点目は「ホワイトカラー」が指す範囲が曖昧であることです。Wikipediaによると、ホワイトカラーとは「知的労働や事務系、営業・販売系職など」に就く人々を指します。本書では、AI革命によりローワーホワイトカラーが淘汰され、アッパーホワイトカラーだけが残るとされており、それを前提に議論が進んでいます。しかしながら、一部ではホワイトカラーの定義が狭く感じられる記述もあり、この曖昧さが気になりました。例えば、書籍の中で逃げ恥の平匡さんはホワイトカラーではないと述べています。どうやら終身年功制でなければ、ここでの「ホワイトカラー」の対象ではないと言及されています。更に、冒頭では三菱総合研究所のレポートを引用して「ホワイトカラー(事務担当)は2035年に180万人の余剰になる」と言っている。おそらくこのレポートは労働政策研究・研修機構の統計を参考にしていると思われますが、更に、冒頭では三菱総合研究所のレポートを引用して「ホワイトカラー(事務担当)は2035年に180万人の余剰になる」と言っている。おそらくこのレポートは労働政策研究・研修機構の統計を参考にしていると思われる。労働力調査で用いている職業分類 を見ると、ここでの事務従事者はホワイトカラーのサブセットの一つであるように思えました。
とはいえ、1ソフトウェアエンジニアとして、これまで行ってきた業務の一部が生成AIに代替される未来は容易に想像できます(実際にその兆候はすでに見られます)。自分も「漫然とホワイトカラー」の一員ではないかという意識を持ちながら読み進めました。
今迎えているインフレモードと労働供給制約社会の組み合わせという悪くはない状況の中で、人員が余剰になる日本のグローバル産業はどのように外貨を稼いでいくべきか、そしてローカル経済でのエッセンシャルワーカーの不足を各セクターでどのように解決していくべきか、個人個人のスキリングどれも興味深く読むことが出来ました。最後に、それらをベースにした20の提言というのがあり、それも本書をそれまで読んできているととても納得感のあるものでした。
本書は、自分のキャリアをどうすべきか深く考えさせられる一冊でもありました。
エレガントパズル
こちらは別途ブログ記事を書く予定です(と自分に発破をかける)。
プロダクトマネージャーのしごと 第2版
こちらも別途ブログ記事を書く予定です(と自分に発破をかける)。